Need for Speed(2015)に感じたこと

本来であればこのブログは最初の記事(つまり元気の話)を匿名で書き捨てることだけが目的だった。

誰にも読ませる気のない文章、言わばチラシの裏のようなものだ。しかし、世の中というのはわからないもので、こんな偏屈なブログですら見ている人がいて、そしてその声は元気にまで届いていた。

これは自分の想像を超えていたし、少しの怖さを覚えながらも、概ね肯定的な意見を頂いたことで自分と同じ考えの人がいることに安心できた。

あのまま匿名の一記事として置いておくことが最良の判断であり、この記事は蛇足となるかもしれないが、あの記事を書いた後に発売された、ある作品についての元気作品ファンの視点からの感想として書いておきたい。

 

自分は元気の作品について書いた記事の中で、現代の主流とも言えるレースゲームであり、そして決して元気の作品にはなりえない作品としてNeed for Speed(以下NFS)シリーズを紹介した。

あの記事を書いた時点での自分の中のNFSは最新作であった「Need for Speed Rivals」であり、その後に出た作品については全く情報がないまま、スーパーカーがメインだとかそう言ったことを書いていた。

しかし、昨今のhellaflushやstance、Bosozokuと言ったJDMカルチャーの火は衰えることを知らず、Hotwheelsのような世界規模のミニカーブランドや、ファッションなどの世界にも影響を及ぼした。そしてそれはレースゲームに関しても決して無関係とは言えず、13年前に発売された「Need for Speed Underground」以来とも言える、日本車中心、JDMカルチャーの影響を色濃く受けた最新作として、新たなNeed for Speedが世に放たれたのだ。

 

Need for Speed。原点とも言えるタイトルに立ち返ったこの作品は特定のサブタイトルを持たず、ファンの間では「NFS2015」の愛称で親しまれている。

だが、この作品はかつての同名タイトルとは異なり、スーパーカーはほんのわずかしか登場しない。その代わりに主役として返り咲いたのは、AE86180SXスカイラインGT-Rと言った日本車、すなわちJDMの象徴とも言えるマシンたちだ。

それだけではない。この作品では「アイコン」と呼ばれる各分野を代表する人物たちが登場するのだが、マグナス・ウォーカー、ケン・ブロック、リスキー・デビルと言った海外の有名人やチームと共に、日本からもRAUH-Welt(RWB)代表の中井啓氏及び、「諸星一家」で知られる、クレイジーなランボルギーニのオーナーである諸星真一氏がアイコンとして、プレイヤーの目指す目標として描かれているのだ。

偉大なるシリーズの最新作にして、かつてのUndergroundでも成しえなかった、より純粋なJDMを求めた作品。その拘りは作品の舞台である架空の都市ベンチュラ・ベイにも色濃く表れており、「洋ゲー」でありながら、極めて日本的な狭く、曲がりくねった峠がいくつも存在する。

ドリフトすることがやっとの狭い峠道には連続したヘアピンが待ち受け、路肩には犠牲者をあざ笑うかのようにカーブミラーがこちらを覗く。闇夜に浮かぶその姿は日本の峠ではないかと錯覚するほどに日本的であり、かつて「Forza Motorsport」シリーズに存在した架空の峠コースである「富士見街道」が一気に色褪せ、虚構の存在であると思い知らされるほどだ。

 

マシンは整った。日本の著名人も準備した。舞台は完璧だ。ではチューニングはどうか。ご安心を。こちらも素晴らしい。

車によって収録パーツに差があり、その中にははっきり言って恵まれていない車種もあるのだが、全体的に見るとこの作品のチューニング及びドレスアップは極めて満足度が高い。

パーツに関しては原則ポン付け、足回りとNOSのセッティングができる程度なのだが、ここ数年のNFSシリーズとは異なり、どの車でも一定以上のパフォーマンスに引き上げることが可能であるため、クリアのために乗りたくもないスーパーカーに乗り換えることなどは必要ではない。フェラーリが嫌いでAE86が好きなドライバーであれば、ずっとAE86を選択する自由が与えられるのだ。

そして、ドレスアップに関しては現世代のレースゲームの中では恐らく最良の作品と言い切ってしまっても問題はないだろう。実在のメーカーのエアロパーツやEAオリジナルのエアロパーツ(ただし、過去の作品の悪趣味で醜悪極まりないものではなく、現実的なもの)を選択でき、車によっては一体系のボディキットとして、フェイススワップを行うことすら可能であり、ホイールも最新のトレンドを抑えたものが収録され、タイヤもホワイトレターの有無や“引っ張りタイヤ”まで選択可能、さらに車高やキャンバー角、ツラと言ったドレスアップ好きには決して外せないものまで改造が可能となっている。

これらのドレスアップにより、オンラインでは同じ車を見ることはまずありえない。プレイヤーの数だけ、無数の改造車が存在しているのだ。

 

決して多くはないものの、定番車種を揃えたラインナップ。豊富なエアロパーツを筆頭とした、極めて自由度の高いカスタマイズ。そして通信環境の進化と、ハード性能の向上によって生まれた自由なオンラインでのクルージングおよび対戦。これらにより、この作品は「洋ゲー」でありながら、プレイヤーたちが集まり、自慢の愛車を魅せ合ったり、共にレースを楽しむ光景が日本でも数多く見られている。素晴らしいことだ。

しかし、ここまでこの作品を絶賛し、そして楽しんでいながらも、心の片隅には悔しさと寂しさ、そしてかつて夢見た未来への渇望が常に存在しているのもまた事実だ。

 

豊富な日本車と自由なカスタマイズ、それはかつての元気のお家芸だった。特にフェイススワップまで行うような極端なエアロパーツは「首都高バトルX」を思い起こさせる。

峠やハイウェイを舞台にしたストリートレースだってそうだ。深夜の峠で抜きつ抜かれつのハイスピードでのバトルを行う様はまるで「街道バトル」だ。

また、オンラインでの愛車の披露はカプコンから発売された「アウトモデリスタ」において、オンラインだから出来ることだとして、当時は強く印象に残り、そしてメーカー側もプッシュしていた。

洋ゲーにおいて日本文化を意識した結果の皮肉だろうか、NFS2015は極めて日本的な、そしてかつての和製作品が目指すはずだった未来を実現してしまったのだ。和製レースゲームの多くが死に絶えてしまった今、その未来は決して来ることのない、失われた未来だと思っていた。しかし、それは予想しない姿として目の前に現れた。それがたまらなく悔しく、そして寂しいのだ。

 

勿論、NFSは決して元気の作品にはなれないし、なる必要もないだろう。

例えばNFS2015においてもカーチェイスは存在し、「Most Wanted」等に比べれば幾分現実的ではあるものの、それでもパトカーに体当たりをし、検問を突破することを迫られる。

また、多くのキャラクターが存在するものの、NPCとしてレースに参加するキャラクターの殆どには名前以上のプロフィールはなく、彼(もしくは彼女)が何者であるかを知りえることは決してない。

そして何より、元気の作品のような「厨二病」的な要素は存在するはずもなく、まるでライトノベルの登場人物のような通り名を持つボスだとか、走っている最中に電光やオーラを放つ走り屋が出てくることはない。

このような要素がNFSに必要かと言われればNOと答えるし、こんな要素が入ったNFSは絶対にプレイしたくないが、もう二度とこのような要素を持った作品は現れないのではないかと感じることもまた事実だ。

 

元気の公式twitterは幸いにもまだ活動を続け、そしてかつてのファンや未来のファンとなりえるユーザーからの質問や意見も多く回収している。しかし、現実は決して元気のような規模のメーカーには優しくないだろう。現在の元気公式twitterのアンケートに集まった総数は未だ7000以下。公式が「失望した」と嘆くのも仕方のないことだ。

だが、元気は首都高バトル街道バトルの版権を手放そうとは考えておらず、いつか自社製の同作を蘇らせることを企業の夢として描いている。

NFS2015にも負けない、日本のメーカーだからこそ出せる素晴らしい日本の走り屋文化を描いた作品が復活することを願う熱い火は、ユーザーからも元気からも決して消えてはいない。

 

だからこそ、我々は夢を捨てないし、信じ続けることができる。

「若者の車離れ」だとかそう言った愚かなレッテルが叫ばれるこの時代だが、日本のユーザーが決してレースゲームを求めていないわけではない。

元気の作品でないことだけが残念だが、NFS2015の盛り上がりはそれを示している。

最後に、もしこの記事を見た方でtwitterをやっていない、もしくはまだ元気のtwitterアカウントのキャンペーンに参加していないと言う方がいれば、是非そのキャンペーンに参加し、協力してほしい。そして、可能であれば日本のみならず、知りうる限りの首都高バトル街道バトルファンにその存在を教えてほしい。

小さな行為かもしれないが、それが未来を繋ぐことになるかもしれない。